2025注目の逸材】
とよだ・かずき
豊田一稀
[東京/新6年]
はたのだい
旗の台クラブ
※プレー動画➡こちら
【ポジション】投手、三塁手
【主な打順】五番
【投打】左投左打
【身長体重】145㎝41㎏
【好きなプロ野球選手】今永昇太(カブス)
※2025年2月20日現在
バッテリーと一塁手を除く内野手は、一塁へ投げる頻度が圧倒的に高い。バント処理も多い三塁手となれば、強烈な打球への対処に位置取りがカギとなり、前後の移動スピードも問われる。
さらに左投げとなれば、送球前に体を切り返す(足の踏み替え)手間が加わる。必然的にそれだけの時間を要し、一塁送球でアウトを奪う確率は下がる。ところが、新人戦の関東王者のエース左腕、豊田一稀は三塁守備もクールにやってのける。守備範囲の広さと確実性が、先述のリスクを凌駕しているのだろう。
「東京トップクラス」
そもそも学童野球の三塁手は、他に守る選択肢がない選手に与えるようなポジションではない。豊田の三塁守備はチームの足かせどころか、守る武器のひとつとなっている。
「ボクは左利きなので、相手はバントも多くなると思うんですけど、常にそれも頭に入れながら守っています」
一塁に投げてセーフかアウトか、微妙なタイミングもある。もちろん、アウトを100%奪えるわけではないが、慌てて打球をお手玉したり、送球が高く抜けてしまうようなミスはほぼない。むしろそういうときにこそ、強くて正確なボールを投げられている。
豊田のそういうメンタリティーも踏まえて「東京でもトップクラスにいるピッチャーだと思います」と目を細めるのは、酒井達朗監督だ。創部58年目の旗の台クラブのスタッフで一番の古株、指導キャリア20年を超える指揮官は、エースへの賛辞を惜しまない。
「球がとんでもなく速いとか、制球が抜群というよりも、総合力で図抜けてますね。けん制もフィールディングもマウンドさばきもいい。味方がエラーしたときの振る舞いや態度、ピンチでの気持ちの整理の仕方なんて、もう高校生並ですよ。今風じゃないかもしれないですけど、珍しい子だと思います」
2日間で3試合を消化した昨年11月の関東新人戦では、最速は1回戦の初回に三番打者に投じた99㎞。開始から飛ばして5回1失点と試合をつくり、逆転サヨナラ勝ちにつなげた(リポート➡こちら)。
都新人戦決勝は2回から登板して2失点で胴上げ投手に。打っても2打数2安打、右翼線へ二塁打を放っている
明くる日の準決勝は、球速は総体的に抑え気味で打たせて取りながら、4回2失点とゲームメイクし、65球でお役御免に(リポート➡こちら)。何より際立ったのは、ピンチやバックの適時失策の直後など、正念場で左腕が力強く振られていたことだった。
「昨日投げていた(67球)ので、今日はそんなに球速はいかないと思ってスローボールも多く混ぜて投げました。ボクはタイプ的に、ストライク先行で打たせて取っていくピッチャーです」
続く同日の決勝は五番・三塁で先発し、終盤に打者1人に投げて(与四球)から、三塁守備で優勝の瞬間を迎えている(リポート➡こちら)。
関東新人戦は1回戦と準決勝で先発して確実にゲームメイク。打撃では無安打ながら、痛烈な打球も放ち、準決勝ではスクイズバントも決めている
関東王者を決める大一番では5人の投手が登板したように、チームの投手陣の層は厚い。持ち味や役回りはそれぞれとはいえ、成長著しい右の本格派もおり、豊田はライバル心を素直に打ち明ける。
「みんな良いボールを投げているし、負けたくないというのはあります。ボクは将来的には、一番はコントロールが良いピッチャーになりたいです」
奥ゆかしさのルーツ
野球マンガの不朽の名作を世に問えば、間違いなく上位に挙がるだろう『巨人の星』。そこで描かれているような、有無を言わせぬ子どもへの強制とスパルタ指導は、いつの時代もひと握りの栄光と、星の数ほどの沈痛を生むのかもしれない。
豊田の父・伸一さんも、悩める野球少年だったという。小1でチームに入ったものの、高学年になる前に自らユニフォームを脱いでしまった。
「厳しい父親の指導を受けているうちに、だんだんと野球が好きでなくなってしまいまして…。一稀には私のような思いはさせたくないので、口うるさく言わないようにして、自主性に任せています」
ただし、一粒種の愛息にひとつだけ、説き続けていることがある。それは野球やマウンドにも通じるが、日常から身の助けにもなるだろう術のひとつ。
「簡潔に言えば『危機管理』ですね。何でも想定内にしておけば、良くないことが起きても動じないし、いざというときにも慌てない。何でも先読みして考えてから行動しなさい、というのは常に私から言っています」(伸一さん)
達観しているかのような、豊田の泰然自若のピッチングは、そういう土台の上で成り立っているのだろう。一般的に投手はわがままで自己顕示欲も旺盛なものだが、彼は趣が異なる。
新人戦の関東大会でも東京大会でも、間違いなく優勝に貢献しながら、歓喜の瞬間も集団の中に埋もれがち。底抜けに明るくて目立ちたがりの仲間が多いせいもあるが、挨拶や撮影時の整列でもグイグイと前面に出てくるようなことがない。どこか奥ゆかしい少年なのだ。
美フォームのルーツ
「一稀に謙虚の大切さも言ったことはありますけど、野球の指導はチームとスクールにお任せしています」
そんな父の職場が横浜(神奈川)にあることから、豊田は幼いころから横浜スタジアムでプロ野球を観戦。そして就学前から横浜DeNAベイスターズの通年スクールに通い始め、1年生の初夏に地元・品川区の旗の台クラブの門を叩いた。
「チームではずっとピッチャーです。小さいころから、ヒザを直角にして上げて(股関節の高さ)から止める感じで投げていたんですけど、スクールのコーチから『流れのまま投げてみたら』と言われて今のフォームになりました」
スクールでは、より専門的な指導を受けられるアドバンスコースのセレクションに合格し、3年生から受講している。空いている平日は自主練習を欠かさず、体幹強化とストレッチを日課としている。
結果、フィジカル面が整ってきたことから、プロOBコーチの助言もあったのだろう。通年の継続的な専門指導のメリットがそこにある。DeNAのスクールは、目先の球速や打球の飛距離ありきの指導ではなく、故障しない投げ方・打ち方を最優先にしているという。
「将来は今永選手(昇太、カブス)みたいな、カッコいいプロ野球選手になるのが夢です」
動作のモノマネも得意だという豊田。クセや力みのない投げ方が、憧れのメジャーリーガーに似てくるのも自然な流れなのだろう。
旗の台は現6年生(卒団済)にもエース左腕の寺村陸がいて、新人戦準優勝などに貢献した。夏の全国初出場は果たせずも、東京予選の3位決定戦で109㎞をマークし、DeNAジュニアにも選ばれている。
その寺村は闘志むき出しのピッチングが持ち味だった。そういう面では対照的な後輩のエース左腕も当然、DeNAジュニアでのプレーも熱望している。
「年末年始はずっとお餅を食べていて、あとは友だちと少し野球をしたりしていました。今年は全国優勝できるように練習して、どんな相手でも試合をつくれるピッチングをして貢献したいです」
父の教えである、先読みの習慣。予想するのは何も、トラブルやアクシデントなど負の出来事に限らない。真夏の新潟、「小学生の甲子園」のマウンドで珍しく飛び跳ねて喜んでいる自らの姿。本格的な球春を迎えた関東王者のエースは、そういう未来も描いていることだろう。
(動画&写真&文=大久保克哉)